越ケ谷宿〜古河宿
2006.11.04 〔走行距離 約55km〕
三連休の二日目。
今日は、ちょっと危ない天気予報。
山はあきらめ、街道を行くことに。
久しぶりの日光道中です。
日光道中は二十一次。 今回は、越ケ谷宿からのスタート。 コースは、JTB出版の「今昔三道中独案内」を参考に。 粕壁宿へ向かう途中、備後の一里塚跡が。 ちょっと寂しい一里塚でした。 |
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粕壁宿に入ると、立派な道標が。 「北日光」とはっきり読めます。 |
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この道標があったところは、こんな場所。 大変立派な店構え。 「太物荒物店・油屋勘六」の店跡だそうです。 その他、山田商店があり、今の建物は幕末の建築だそうです。 |
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小渕の一里塚跡です。 傍らには、店舗三年建立の庚申塔もありました。 この近くには、天然記念物の「牛島の藤」があります。 |
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追分の道標です。 「左日光道」とあります。 ここは、日光道と関宿道の追分です。 |
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こんな立派な塀を持つ家がありました。 しかし、すごい造りですね。 とても、春日部にいるとは思えないところでした。 |
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杉戸宿に入りました。 ここの本陣跡は、交差点の名前になっています。 ちょっと見づらいかもしれませんが、信号機の横に・・・。 |
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杉戸宿は、どこが宿場なのか良くわからないところ。 「伊勢屋跡」や「とらや薬局」等の古い建物も残っています。 |
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この建物も、杉戸宿で見たもの。 結構探すとあるものです。 |
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日光御成道との合流点です。 もうすぐ幸手宿です。 |
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幸手宿に入りました。 幸手にも古民家が残されています。 街道沿い特有の間口が狭く、奥行きがある家です。 |
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幸手宿の日光街道は、こんな標識がたくさんありました。 これで、電線等が地下に入れば・・・。 幸手の街は、まさにその工事の真最中でした。 きれいに復元できるか。期待しています。 |
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栗橋宿に向かう途中の道標です。 「左日光道」、「右つくば道」、「東かわつま前ばやし」と刻まれています。 しかし、こんな所に政党のポスターを出すなんて。 こんな神経をしている政党は、疑ってしまいますね。 悔しいので、自転車で隠して撮影。 こんな神経をしているのは、「自由民主党」でした。 |
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ここは、当時、栗橋名物であった「栗餅」を売っていた店です。 現在も現役の店です。 ちなみに屋号は、「柿沼」だそうです。 |
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栗橋宿に入り、最初に見たものは・・・。 「焙烙地蔵」を祀った地蔵堂です。 関所破りで処刑された人を哀れんで作られたそうです。 |
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もう、人は住んでいないのか。 古民家が二軒、残されていました。 |
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この建物は、栗橋宿脇本陣だそうです。 もう、ボロボロ。 大丈夫なのでしょうか。 栗橋宿には、「静御前」説があります。 |
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ここが、栗橋関所址。 「跡」と言う字が「址」になっています。 わざと常用漢字外を使ったのでしょうか。 昭和36年9月1日に埼玉県指定旧跡になったそうです。 |
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利根川の橋を渡り、中田宿へ向かいます。 いよいよ茨城県です。 |
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中田宿は、現在の利根川の橋の下あたりにあったそうです。 現在の中田町の町並みになったのは、大正から昭和にかけての利根川の改修工事によってだそうです。 |
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古河宿に入りました。 ここは、古河城跡。 城前の茶屋だったそうです。 |
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この道標は、日光街道古河宿道標です。 道路整備があるごとに、あちこち移設され、やっとこの地に落ち着いたそうです。 この道標どおり、左に行くと江戸に戻ってしまいます。 もう少し考えて移設すればよかったのに・・・。 |
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ここが、古河宿の町並みを再生している場所です。 まだまだ、これからというところ。 でも、遊歩道も整備され、期待感が持てます。 |
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さて、おなかも空いたので、そろそろお昼に。 以前、仕事で来た時に立ち寄った餃子やさんへ。 ここの焼き餃子は、カラッとしているのです。 本当に不思議な餃子です。 でも、肉汁がタップリと入っていて、口の中をやけどした人がいるくらいです。 一度食べると、また来たくなる味です。 |
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店の外観は、こんな感じ。 古河駅から、ちょっと外れていますが。 行く価値は、あると思いますよ。 徒歩で、5分くらいです。 今回は、古河宿まで。 本当は、小山宿まで行こうと思ったのですが。 空模様が怪しくなったので、古河駅から輪行で帰ることに。 でも、この判断は正解でした。 家に帰ってから、ポツリポツリと。 おまけに雷まで。 また、時期を見て続きを旅しましょう。 |