日光道中(草加宿)

2005.02.07〔走行距離 約48km〕

今日は、平日のお休み。
昨日までは、見沼ポタリングに行くつもりだったのだが、街道の本を読んでいるうちに。
日光道中の案内を見つけ・・・。
そうだ、草加宿!せんべいが食べられる・・・。
動機は不純ですが。

昨日の夜、読んでいたのは、関東周辺「街道・古道を歩く」
そこに、日光街道「草加宿」の見出し。
近いのに、一度も行った事がなかった。
行きは、国道4号線経由で。
実は、地図と、ガイドブックを忘れてしまって・・・。
GPSだけでは、街の中がわからない。
草加市の産業振興会でガイドブックをもらって・・・。
この像は、「おせんさん」
俗説では、草加宿で煎餅を最初に作った人らしいです。
八幡神社の境内です。
龍の天井絵や大きな雌雄一対の獅子頭があるそうなのですが・・・。
どこにあるのか解りませんでした。
おせん茶やです。
駅前のブロンズ像「おせんさん」にちなみ名づけられたそうです。
当時を偲ばせる建物です。
草加市内には、こんな煎餅やさんが沢山あります。
店の前を通ると、煎餅のよい香がします。
しょうゆのこげた香ばしい匂いです。
これは何でしょう。
現在の水準点にあたるそうです。
1876年、当時の明治政府、内務省地理寮が、イギリスの技術で
測量したものだそうです。
当時、東京から塩釜館を測量したそうです。
その後、測量技術がドイツ方式となり、結局は、使われなかったそうです。
大変貴重な、歴史資料だそうです。
「草加せんべい発祥の地」の記念碑です。
先ほどの「おせんさん」のエピソード。
昔、日光街道は草加松原の茶店で、おせんさんという女性が、
団子を売っていたそうです。
おせんさんは、売れ残った団子の処分に困っていたそうです。
ある日、侍が「団子を捨てるのはもったいない。つぶして乾かし、焼餅として売ってはどうか。」とアドバイス。
果たして、その真偽は・・・?!
芭蕉の碑です。
芭蕉が、「奥の細道」にたび立つ姿だそうです。
当時、深川を出た芭蕉は、千住まで船で行き、日光街道第二の宿駅だった草加にたどり着いたそうです。
友人や門弟が残る江戸との名残を惜しむように、見返りの姿をしているそうです。
矢立橋からの眺めです。
松並木が綾瀬川沿いに続きます。
甚左衛門堰です。
江戸時代に伝右川の治水・利水のために作られた水門です。
現存するレンガ造りの堰は、明治27年に改造されたものだそうです。
札場河岸公園です。
当時の船着場の石段を復元して「河岸」の再現をしたそうです。
さて、草加煎餅も買ったことだし、そろそろ帰路につきますか。
復路は、綾瀬川沿いを通り、見沼ベンチへ。
感に頼って、来たのですが、見事、浦和美園駅前に出ました。
久しぶりにマニアックなストーブを持ってきたのですが。
なかなか言うことを聞いてくれません。
お湯を沸かすのも一苦労。
やはり、SoloTourでは、ガスが一番かな。
今日の、ベンチ前、代用水の様子です。
鴨やサギまでいました。
今日は、こんな感じで遅い昼食でした。
さて、次はどこに!